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ピアノワンポイントコラム⑫譜読み~その4:「大事!の意味を見極める」

 
かなり時間が空いてしまいましたが、
「譜読み」の続きです。

前回までのブログ(↓)では

様々な音楽の要素を

多角的に比較

することで、

楽曲の持つ

多層性や文脈に

気付くことが出来る

というお話しをしました。


今回は


『楽曲に存在する

Tiefsinn=万物を貫く普遍性(核心)

とは?』


という問いについて

綴っています。


これはある意味

とても根源的かつ

個人的な質問です。


「楽曲に核心なんか存在しない」

という人もいます。


音楽を音楽以外のものに

例える事に

違和感を覚える人もいます。


ですから、


ここでは

「明確な答えはない」

というのが

無難なのかもしれません。


しかし、


せっかくここまで

読んでくださった方々への

感謝の気持ちを込めて、

私なりの

答えを綴ってみようと思います。


相変わらず

前置き長くてごめんなさい!



ここから本題!


突然ですが

この写真を見てください。


Photo by Fabrice Villard


この写真に写っているものは何でしょうか?







多くの人は

「これは木だ」と

答えたと思います。


(違う答えも大歓迎です!

またその議論は別の場で!)


ほとんどの人が

「この」木を見たのは

初めてだったにも

関わらず


なぜ多くの人が

そのように

答えたのでしょうか?


「この」木に

あらゆる木に通じる

木の普遍性

見出したからです。


「木が木たらしめる為に

不可欠なもの」

木の『核心』

であるとすれば


「ある楽曲を

ある楽曲たらしめる為に

不可欠なもの」

その楽曲の『核心』

ということは

出来るでしょうか?


少し

詭弁っぽいですが

、、、。(笑)


そして、

作品の核心は

楽曲の『像』を

ハッキリと描くことで

浮かび上がってくるように

感じます。

 


但し、

この『像』は

物理的、具体的

なものだけでなく

「概念的」

なものも含みます。


(またこのことについては

別の機会に詳しくお話しします。)



さて、


これは、

特にロマン主義的な見方

そして

シェンカー理論(※)にも

少し繋がるお話ですが、


ゲーテやヘーゲルなどの思想家は

楽曲を

一つの有機体」として

捉えました


種子から芽が出て、

枝が伸び葉が茂り、

花が咲き実がなり、、、

そしてやがて種子に帰る。


姿(様態)は変化し、

その見え方は時として対照的で

対立すれど

全ては

途切れることなく

ひとつながりです。


楽曲も、

最初の音符から

最後の音符までが

ある一つの『像』を

成していて、


一つの生命体のようなものとして

捉えることが出来ます。


楽曲の『像』を伝える

ということは

演奏家の大切な

役割の一つです。


ところが、


楽曲の多くが、

複雑な構造を持ち、

何層にも入り組んでいるがゆえに、


いくら細部にわたって

観察を繰り返したところで、


個々の役割やその繋がり&

関連性が分からない

楽曲の「像」が浮かび上がってこない

楽曲の核心 [Tiefsinn]が見出せない



といったことが

往々にして起こります。


この問題を解く

手がかりになるのが、

大事! の意味を見極める

ということです。



突然ですが、

ピアノのレッスンなどで、


先生から

「あ、そこ、大事!」

といった指摘を

受けることが

あると思います。


ただ、一言に

「大事」と言っても


essential(不可欠な)

significant(意義がある)

precious(貴重な)


といったように

異なる意味が存在します。


ここで先程の「木」に戻ります。


例えば


木にとって

根っこ

木の存在不可欠です。


次に


葉っぱ等が

木の生命維持という

役割を果たします。


蕾、花、実は

時の経過とともに

姿が変容します


木の上を這いつくばる青虫や、

木に穴をあけて巣作りをする鳥達

登場するかもしれません。



Photo by Meriç Dağlı


どれも大事です。

但し、

大事の意味が違うのです。


根っこなしに、木は自分で

立つことができませんが、


葉っぱのいくつかが

欠けてしまったとしても

木の存在そのものが

無くなることはありません。


一方で、


豊かに茂る葉っぱは

木の命を生き生きと輝かせ、

花々と共に木を彩り

眺める人々の目や心を潤しますが、


根っこは、地中に埋まっているため、

人々の目に触れることはありません。



このように

同じ「大事」でも

「根っこ」なのか

「葉っぱ、花びら一枚」なのかで

大事の意味や見え方が違うのです。


楽曲も同様です。


楽曲の「像」を

鮮明にとらえるためには、

各々の音符や音楽要素の

存在意義、役割

重要性の違いなど認識して、

それらの普遍性や関連性、

因果関係に気づく

必要があります。


この工程で

様々なヒント

となってくれるのが

「いわゆる」音楽理論です。


理論や分析という言葉は

堅苦しくて

普段あまり使いたくはないのですが、

これらは

譜読みの一環なのです。


逆に言えば、

音楽を聴いていて

「あ、いいな」

と心を動かされる場面の多くが、

音楽理論で

説明することも出来ます。



無論、理論や分析で完全に

説明仕切れないところに

音楽の真の魅力がある

ともいえるのですが、、、。



このことについては

また次々回ぐらいに予定している

「個性とは?」の回で

詳しくお話しできればと

思っています。



長々と綴ってしまいましたが、

今回は

「譜読み」とは何か?

についてお話しました。


***



どんどん膨らんで

4回にわたってしまいましたが、


お読みいただき

ありがとうございました!


ピアノワンポイントコラム

まだまだ続きます!


・個性とは?

・ペダルはピアノの魂!

・「クラシック」とは?-ピアノスクールについて

・先生の探し方-専門医とホームドクター


などなどを予定しています。




次回は、

いったん留学体験記に戻って、

米国の音楽博士課程のことについて

少し触れようと思います

(内容が変更される場合もあります)。


どうぞお楽しみに!



ブログは本当に不定期で

のんびり、カメさんやナマケモノさんの

スピードですが

更新はTwitterで行っています。

普段は映画のことばかり

つぶやいていますが、、、。


ご興味を持ってくださった方は

どうぞご自由にフォローくださいね!




※シェンカー理論:オーストリア(現ウクライナ)出身の音楽学者ハインリヒ・シェンカー(1868-1935)によって打ち出された、楽曲の捉え方、読み解き方、その方法などの総称。米国へ移住した弟子達によりに米国を中心に広まった。ただし理論の基となる思想そのものではなく、シェンカーが行った楽曲の分析の方法が、メソッド化されて独立して発展・確立されていった。