2020年11月29日日曜日

My alma mater マネス音楽院について PART 2

 



(前回からの続き)


マネス音楽院の

最大の特色のひとつは、

音楽理論系の充実です。


長年当校で教鞭をとる名教授、

カール・シャクター氏(Dr. Carl Schachter)は、

指揮者フルトヴェングラーにも

多大な影響を与えたといわれる

「シェンカー理論」研究

の第一人者です。


入学時に

対位法の授業の先生に、

「この学校に入ったのなら、

必ずシャクター教授の授業を

とるように」

と強く勧められ、


4年間

シャクター博士の授業を

とり続けました。


シャクター博士による

「演奏家のための楽曲分析」

という授業では、


様々な楽曲を

凄い切り口から読み解いていき

楽譜上の発見を

演奏者としてどのように表現していくかを

考察するのですが、


3Dの隠し絵が見えた時のような

感動を何度も味わいました。



***



当時革新的だったシェンカー分析を

早々に取り入れたことにも

見られるように

 

創立者のデイヴィッド・マネスは、

専門実技だけでなく

音楽家としての

総合的な知識やスキルの充実を

学校の理念の一つに

掲げていました。


今回、ブログを書くにあたり

卒業時にいただいた

創立者デイヴィッド・マネスの自叙伝を

初めて読んでいます。




彼の生い立ちや、

彼がどのような思いで

学校を設立したのかという事が

綴られています。


創立当初に

教師として招かれた

アルフレッド・コルトー 、

エルネスト・ブロッホや

パブロ・カザルスとの交友録も

さることながら、


私が特に注目したのが、

マネス氏が、当時はまだ珍しかった

「公共の場での開かれたコンサート」を

開催することに尽力したくだりです。


彼は、19世紀の初め、

コンサートホールなどにおける

どちらかと言えば、窮屈で形式ばった

いわゆる「閉鎖的」な

当時のクラシックの演奏会の在り方に

疑問を感じ、


その場に居合わせた

誰もが立ち止まって

耳を傾けることのできるような、

「開かれた」コンサートの普及に

努めました。


当時の常識を覆した

「メトロポリタン美術館での無料コンサート」の

初開催に携わり、

指揮者として

1917年から1941年まで参加、

公共の場における無料コンサートの

実現、普及に貢献しました。


マネス氏の自伝には

人種や社会的地位に関わらず、

様々なバックグラウンドを持つ人々が

美術館の一角に集い、

各々の楽しみ方で音楽に身を委ねる光景を

目にした時の彼が感動が、

いきいきと描写されています。



***


『感無量とは正にこのことである。


千人を超える人々が

たった一つのこと、

「音楽への愛」

によって

突き動かされているのである。


そこには

社会的背景、階級、経済格差は

存在しない。


プライドや過度な自己顕示癖、

権威主義が入りこむ余地もない。


民主主義の精神が

これ以上純粋な形で

可視化されることなど

在り得るだろうか。


私が彼らに心を揺さぶられるのは


収入の少ない彼らが、

低賃金で劣悪な環境の工場や

お店、地下鉄などで

一日中働いて疲れ切っているのに

ここへ足を運んでいるからだ。


二時間の間

コートを抱きかかえ、

血の気の無い白い顔を片側へ傾け、

足は開き、

目はぼんやりとしている。


疲れた女性たちは

崩れるように座り込み、

巨大なスフィンクスの

高岩石でできた爪に

頭をもたせかける。


子供たちは往々にして、

彼女たちの膝の上で

細い足を投げ出して

眠ってしまう。


恋人たちは、

韓国の壺が飾ってある

ガラスケースの間に

隙間を見つけて、

肩に頭を預け

手を繋ぎながら

聴いている。』


―David Mannes, MUSIC IS MY FAITH  Second Edition (New York: reissued by his friends 1949), 252. Translated into Japanese by Emiko Sato.

(和訳:佐藤恵美子)



***

 

さて、次回は


実際にマネス音楽院を

訪れてみて感じたことを中心に

お話ししたいと思います。


お楽しみに!



Twitter で更新情報をお知らせしています。


Instagram も更新中!
(ピアノ♪ワンポイントコラム掲載中)





2020年11月21日土曜日

My alma mater マネス音楽院について PART1



今日は私の母校の一つである、


アメリカ・ニューヨークの

マネス音楽院

(Mannes School of Music)


について触れたいと思います。


1916年に 

ヴァイオリン奏者のディヴィッド・マネスと

妻クララによって

創立されたマネス音楽院は


マレイ・ペライア(ピアノ)

チョン・ミョンフン (指揮)

ビル・エバンス (作曲)


といった素晴らしいアーティストを輩出した

伝統ある音楽の名門校として

知られています。


NYフィルやメトロポリタンオペラなどで

活躍する現役音楽家たちが

教授陣として在籍しており、


ピアノ:

アルフレッド・コルトー、

イザベル・ベンゲーローバ

ピーター・ゼルキン


作曲:

ジョルジュ・エネスコ

エンルスト・ブロッホ


指揮:

ジョージ・セル


といったクラシック界の巨匠たちが

歴代教授陣に名を連ねます。


中でも、伝説のピアニスト

ウラディミール・ホロヴィッツ

唯一教鞭をとった学校として

知られています。


下の写真は、

ホロヴィッツがマネス音楽院で

教えることことがニュースとなった

当時のニューヨークタイムズの記事です。



(NYタイムズ・1976年7月26日付)

From the NY TIMES ARCHIVES



マネス音楽院は1989年に

総合大学のニュースクール大学

傘下に入ります。


このニュースクール大学には


アナ・スイ

トム・フォード

マーク・ジェイコブス

などを輩出した

パーソンズ美術大学


スタニスラフスキーの

メソッドアクティングを継承する

アクターズスタジオ・ドラマスクール*

*~2005年/2006年以降はペース大学の傘下


といった

リベラルアーツ系の名門校が

名を連ねていて、


映画大好き人間の私にとっては

音楽家以外の

アーティストたちとの交流の場も

より多く持てるかもしれない、

と思ったことも、


最終的にマネスに決めた理由の一つです。


ちなみに、

俳優のブラッドリー・クーパーは

2000年に

アクターズスタジオドラマスクールの

修士号を取得しています。


私が入学したのが

2001年だったので、

ニアミス、、、、、でした (涙)。



ここまでは、

ウィキペディアや

学校の留学サイトなどでも

紹介されている内容ですが、


次回は、

もう少し踏み込んで


バイオリニスト、音楽教育家、

そして活動家でもあった

創立者のデイヴィッド・マネス

David Mannes

(1866-1959)

の功績など


マネス音楽院について

もう少しお話ししたい思います。


***


次回:

「マネス音楽院について PART2」



Twitter で更新情報をお知らせしています。


Instagram も更新中!
(ピアノ♪ワンポイント・コラム掲載中!)